アラサー異常独身男性のひとりごと

お前、マジになれんのか?

第21段 少子高齢化というけれど・・・

 「6月解散」という言葉をちらほらと聞くようになった。このまま与党が補選で惨敗するようなことがあれば、首相は9月の総裁選で敗れるならばと、国会会期末にあわせて解散という賭けに出てもおかしくはない。

 焦点のひとつになりそうなのは、おそらく少子化対策だろう。

 そこで、私なりに理想的な政策を考えてみよう、と思ったのだが、その前に、少子高齢化が本当に問題なのか。これについて疑問に思ったので書き記してみたい。

 私がいいたいのは、「人口が減ること自体は問題ではない」、要は「日本はそもそも人口が多すぎるのではないか」ということである。

 よく、「ヨーロッパのような福祉を」などという高説を開陳するひとがいるが、欧州の主要国家の人口密度は、イギリス278(単位は人/km2)、ドイツ239、フランス117、スペイン95、イタリア199。福祉国家といわれる北欧三国は、ノルウェー17、スウェーデン26、フィンランド18である。対して日本のそれは329。これは明らかに過密なのではないだろうか。

 たとえば日本がイギリスの同じ人口密度になったとすると、人口はおおよそ1億571万人。ドイツのそれでは9088万人。ノルウェー並みの密度と仮定するとわずか646万人となる。これは千葉県の人口とだいたい等しい。

 今後、現在高齢者になりつつある団塊の世代が順次鬼籍に入っていくことを考えると、最も適切な施策は、「人口を増やす」よりも「人口を減らさない」となるのではないだろうか。

 このまま出生数が減り続ければ、人口ピラミッドのいびつさはより加速し、ますます少ない若者で高齢者を支えなければなるまい。そこで、最大の目標は「出生数の現状維持」であると考える。

 では、これに何が必要か。出生数を減らさず、現状を維持するには、どのような施策が必要なのだろうか。

 ここで、移民が~などという輩には注意が必要である。赤ちゃんだけが移民として渡ってくるのではないからだ。移民はかならず成年層が伴っている。過度な移民は、短期的視点で見れば労働力の増加になるだろうが、長期的視点で見れば、将来その移民たちが日本国民として高齢化していったときに、ますます人口ピラミッドをゆがめるだけなのだ。

 出生数を増やすには、単刀直入にいえば、女性に子供を産んでもらわねばなるまい。そこで、女性が子供を産みやすく、育てやすい社会の構築が目標となる。では、なぜ現代社会は女性が子供を育てにくい環境なのだろう。

 原因として考察したいのが、昔と今での子育ての難易度である。昔は、家族は基本的に三世代・四世代家族であり、不慣れな母親を、すでに子育てを終えた祖母を中心にサポートしていた。現代では、彼ら祖父母の支援がないのが、大きいのではないだろうか。

 では、その原因である核家族化が進行したのはなぜか。ひとえに、大都市への集中であろう。田舎の家から出て、都会で労働をしなければ家族を養えない状況が、核家族を生み出し続けている。

 これを解決するには、東京や大阪への一極集中をやめ、地方への企業進出・雇用機会の創出を促さなければならない。地方へ本社・拠点を移転、新規構築する企業への助成金を設けるなどの制度が求められる。また防災・危機管理という観点からも、中央行政府の機能を、各地方都市に分散させるのも良いかもしれない。熊本のように、巨大外資系企業の製造拠点誘致なども有効だろう。

 少子化対策というと、ややもすれば短絡的に女性の権利などの問題と絡めて議論されがちだが、このような都市構造論的観点からも議論が必要なのではないだろうか。

 

 

 

第3段 人は最大何個の元号を生きることができるのか?

 よく、ニュースなどで「明治から令和まで5つの元号を生きた~」のような題目で高齢者のインタビューなどが紹介される。

 確かに5つもの元号を生きるのは凄い。しかし、日本では昔はもっと頻繁に改元があった。

 そこで、日本に生まれた人は最大何個の元号を生きることができたのか、理論値を考察してみた。

 まず、100歳まで生きた非常に長寿の人がいると想定する。

 この人が、生まれてから死ぬまでに何個の元号を生きたか、計算してみた。

 下の図は、ある年から100年後までに何個の元号があったかを表したグラフである。

 12世紀にピークを迎えていることがわかる。最大値は43個で、これは1140年(保延六)に生まれ、1240年(仁治元)に死去した場合だ。この場合の生きた元号の一覧は下記の通り。

 

保延・永治・康治・天養・久安・仁平・久寿・保元・平治・永暦・応保・長寛・永万・仁安・嘉応・承安・安元・治承・養和・寿永・元暦・文治・建久・正治建仁元久・建永・承元・建暦・建保・承久・貞応・元仁・嘉禄・安貞・寛喜・貞永・天福・文暦・嘉禎・暦仁・延応・仁治

 

 末期院政鎌倉幕府改元しまくった結果が如実に表れたといえよう。

 

 では、人間の長寿の理論値(現時点では、フランス人女性ジャンヌ・カルマン(1875~1997)の122歳)ではどうか。下は先ほどのグラフのパラメータを100⇒122にしたものである。

 やはり、12世紀がピークのようだ。最大値は51個!で、これは1140年(保延六)に生まれ、1262(弘長二)に死去した場合に該当する。上記の元号に加え、寛元・宝治・建長・康元・正嘉・正元・文応・弘長の8つが加わった形だ。

 

<今回のまとめ>

 ・日本史上、最も多くの元号を生きた人は、40個以上の元号を生きた可能性があり、その理論値は51個(1140~1262)である。

 

 

第1段 神の二形態

 イスラエルハマスがドンパチやり始めた。

 

 せっかく和平ムードだった中東だが(本当にそうか?)、にわかに雲行きが怪しくなってきている。

 

 元はといえばイギリス(大英帝国)が蒔いた種だという意見もあるが、そもそもこの地域はイスラム教・ユダヤ教キリスト教の聖地が重なり合い、極めて政治的・宗教的に複雑な様相を呈している。

 

 宗教的対立で殺しあうというのは日本人にはあまりピンとこないかもしれないが(日本史上でも異教同士で殺し合ったのは島原の乱くらいだろうか)、当人たちにとってはいたって真剣な問題である。

 

 風呂に入っているとき、こんなことを考えていたら、ある一つの説が思い浮かんだ。

 

 超越的な神と、祀られる神があり、両者は根本的に異なるものである。世界宗教たりえるのは前者であるが、日本古来の信仰形態は後者であり、それゆえ日本人は無宗教的といわれるのではないか。

 

 超越的な神とは、人類を含むこの世界を、メタ的な視点から俯瞰できる神のことである。

 このタイプの神の前では、人の命など紙屑に等しい。神は自由に世界を制御し、必要とあらば世界を滅ぼすことも可能である。

 ゆえに、この神の前では人間はみな平等であり、神に対して人間が干渉することはできない。神は信徒に対して行動規範を強制し(これは、神が超越性をもっているからこそ成立する)、信徒はそれに従い行動すれば救われると信じる。ここに、人権思想などの萌芽をみることができる。

 また、超越的な神の信者にとって異教徒は「救われぬもの」であり、ここに異教徒へ対する暴力行使の正当性が現れる。

 

 対して、祀られる神とはなにか。それは、祀る必要がある神である。祀るとは、神の機嫌を取ることである。つまり、祀られる神とは、気分屋であり、その気分によって人間の益とも害ともなる神である。

 このタイプの神は、すべての人間に平等ではない。自分を祀るものに対して恩恵を与え、時には呪術的行為を通して、その祀る人間の敵に攻撃を与えることも考えられた。

 原始宗教では、ほぼすべての信仰の形態がこの形態であったであろう。ひとびとは、大自然の脅威に神格を見出し、祭祀を行い、呪術をうみだした。それは容易に祖霊信仰とも同一化したはずである。

 

 では、祀られる神に遅れて生じた超越的な神が、現在世界をほぼ席巻しているのはなぜか。

 それは、統治に都合が良いという一点に集約できよう。

 近代国家は、ローマ教皇という宗教的権威からの脱却過程によってその姿をあらわしたが(西洋では、15世紀から1648年のヴェストファーレン条約までの歴史に、その過程をみることができる)、それは皮肉にも、宗教と国家の同一化という側面をもたらした。17世紀にイングランドからピューリタン北米大陸に移住したりしたのは、その最たる現象である。またドイツ三十年戦争にはじまり、七年戦争をもっていちおうの終結をみる動乱の時代を考えるとき、プロテスタントカトリックという宗教的対立がその根底にあったことは間違いないだろう。

 現代でも中東の対立は、国家の姿を借りた宗教同士の対立といっても過言ではない。

 

 では、日本がそうならなかったのはなぜか。

 簡単である。日本では、「超越的な神」を信仰する宗教が、政権と結びついたことが殆どないからである。

 日本の神道では天皇家天照大御神の子孫としている。つまり、天皇こそが、日本の宗教的権威の頂点といえるだろう。そして、神道の神の概念は、決して超越的ではない。八百万の神というように、日本人はあらゆる自然現象に神格を見出した。これらはあきらかに、「祀られる神」である。

 日本において国家宗教になりうるのは唯一仏教勢力であり、仏教の僧において最も政治の中枢に近づいたのは奈良時代道鏡であるが、770年の称徳天皇崩御とともにその野望は潰えた。以降、仏教は日本の中央貴族の信仰は集めてこそいたが、政権の中枢に神道を代表する天皇がいる以上、これを超えて権力を行使することは不可能であった。

 平安時代の末から仏教勢力は独自の軍事力をもち、僧兵といった階級の人間もあらわれ、たびたび強訴を起こして政権に対抗したが、貴族に代わって台頭した武士を凌駕することはついぞできなかった。武士は禅宗などを庇護こそしたが、やはりその統治体系は天皇あってこそのものであった。

 戦国期には一向宗が加賀を占拠し、一時的に自治をおこなったりもしたが、結局上杉謙信と、その後に続いた自称『第六天魔王織田信長比叡山もろとも撃破・破壊・殲滅され、政治勢力としての仏教はほぼ壊滅した。時を前後して日本に上陸を試みたキリスト教勢力も、江戸幕府によって弾圧され、長崎のごくわずかな信徒を残して消滅。そのまま明治維新を迎えることになる。

 明治維新後は、信仰の自由は認められたものの、依然として天皇が1945年まで政治の中枢にあり、そして令和になった今でも天皇家は存続している。

 

 こうしてみると、日本人が無宗教的なのは全くおかしなことではなく、歴史の必然の帰結ではないかと私には思えるのである。